【海外リゾートホテル従業員】役職が上がるヘッドハンティングで転職して海外で勤務したら仕事量や出来事が半端でなかった。

【海外リゾートホテル従業員】役職が上がるヘッドハンティングで転職して海外で勤務したら仕事量や出来事が半端でなかった。

【性別】男性
【年齢】(仕事が大変だった当時)
36歳

【当時の職業】
海外フィジーリゾートホテルのフロント件営業

【当時の住まい】
一人でホテルが提供する外国人用の寮で住んでいた。

【その仕事はまだ続けてる?もう辞めた?】
今は退職し無職





【就職のきっかけと経緯】
海外のホテルで働いていた際にヘッドハンテイング。
フロント業務から営業課長へのオファーで自分のキャリアのステップアップの為

【環境と仕事内容】
一つの島全体がホテルになっており436室あるリゾート。
外国人は約10名弱であと残りの従業員は約350名だがローカル。
ホテルは横に広がる感じで縦に長い建物ではないため、ロビーから客室に行く際は場所によってはゴルフカートにて移動する。
またホテル内には2つのプール、それに9ホールのハーフゴルフコースがあった。
自分のポジションは日本市場担当の営業課長だが私を含めて日本人二人だったものでフロントも兼務。

【大変だった時期】
社会人になって数年他の国でホテル経験はあったが、営業は初めてだった点。
また今までのビジネス街からリゾート地での業務で全く勝手が違った点。




【大変だったこと】
勤務に関してはほぼ24時間体制。
その当時が日本市場を含めてフィジーブームだったせいもあるが休みがほぼ取れなかった。
3ヶ月に2回とれたぐらいでした。
また宿舎がホテルの裏手にあるため、お客さんに問題または通訳が必要な際はすぐ呼び出しがあった。
いまのように携帯がない時代でまた勤務街であろうが夜中でもお客さんの電話は自分の宿舎の部屋に繋がれていた。
またフィジーから日本へのフライトが朝早い便がほとんどで朝のチェックアウトの際立ち会わないといけないので、毎朝4時おきだった。
また毎晩仕事が終わるのが夜の11時30分ぐらいで、レストランで食事する特典はあるのだが、私がいつも最後の客で閉店まで海を見ながら食べていた。
ただその頃はブラックという言葉がなかったため、ブラックと思わなかった。
ただ今の時代ではブラックに当たるかもしれない。

【大変だった期間】
半年弱ぐらい続いた。




【当時の心境】
苦痛とかはあって朝起きるのが辛いとかの連続だった。
ただ宿舎がホテルの裏にありまた仮に逃げ出すと考えても島から出ないといけないまたその際でもすぐにみんなにわかるというのでそういうことは考えなかった。
ただお客さんを裁くことだけ考えていた。
楽しいというのはなくとにかく無我夢中だった。

【職場が大変だった原因】
ローカルの人が多い為、その国の文化等も尊重しながら経営をしないといけない為難しい面があった。
ただどこの職場でも問題はあると思う。




【仕事で良かったこと】
日本市場担当が私を含めて二人で主に自分が責任者の立場だった。
先ほども触れたがフィジーブームですごい人数は来ていたがとにかく無我夢中で世話をすることだけ考えて仕事をしていた。
充実していたことはありがとうとかお礼の言葉をかけられた事。




【特にひどかった最悪の出来事】
赴任したのがちょうど11月の後半でクリスマスそれに年始年末の予約状況の確認をしていた。
その当時は今みたいにまだインターネットがなかったあるいは出始めだったが全部通信に関しては、FAxでの時代だった。
ちょうど私が赴任する前にホテルのコンピューターシステムを変えたのがあったらしいのだが、12月の中旬自分が予約の再確認をお客さんにしていた際にFAXとかでいただいている予約情報とコンピューター上での情報が一致していない為、数え直すと多数の漏れが発覚した。
コンピューター入れ替えの際に入力ミスがありクリスマスぐらいの時期から約1ヶ月間の予約で1日あたり80?100室のオーバーーブッキングが発覚。
8割の予約が旅行社通しての為、日本側の旅行社に電話連絡を試みるが年末の為休みに入っており連絡不能、仕方なくフィジーの空港で到着のお客さん全員にその場で謝罪。
ただ全部捌き切れないが現地の旅行社の人も協力。
ただその作業が2週間毎日続く。
空港で会えなかったお客さんには今度はホテルで謝罪。
毎日罵声を浴びる。
また不運なことに同時に結膜炎にかかる。
その中でも仕事でほぼ人間不信の状態でした。
ただやらないということだけ考えていた。
オーバーブッキングで部屋がなかったのですが、他のホテルに誘導したりまた、大型フェリーを島の持って来てその中で宿泊誘導した。
半年後最終的は返金額が日本円で800万円でそれは本部も同意して払った。




【相談した人・助けてくれた人】
相談する人もいないぐらいほぼみんなパニック状態だった。
ただ救いとなったのは各々誰が悪いとか攻めたりしなく常に今の状況を一緒に乗り切ろうという感じでした。
外国人それにローカル関係なく頑張っていた。
またローカルの人の笑顔が救いとなった。

【改善のための行動】
今回の失敗でコンピューターとか変えるときはバックアップデーターをしっかりとっておくことを学んだと思う。
ただローカルの人が中心なので時間はかかると思う。
それにうまくいったことは大型フェリーを持って来てなんとか宿泊していただくことだった。
アイデアは支配人を含めて出してすぐ行動したのがよかった。
邪魔する人なんて誰もいなかったと思う。




【現在の状況と心境の変化】
あの時の経験があったからこそその後また違う国に行ってホテル関係の仕事をしましたが、その後役職がどんどん上がって行きました。
また精神的には少々のことでは動じないようになり大きな視野で物事が判断できそれに人の気持ちがもっとわかるようになりました。
今考えると本当大変だと思うが同時に色々と学ばせてもらっていい経験をしたと感謝しております。

【学んだこと】
問題が起きたときは外国人であろうがローカルであろうが一致団結して同じ方向に向かって頑張ろうということを学びました。
その時はすごいエネルギーが出て経歴や言葉は関係ないと感じました。



【当時の自分へのアドバイス】
自分なりにとにかくよく頑張ったと思う。
あの状況ではいくら経験があるまたはプロ中のプロの人が行っても解決できなかったと思う。
荒波が来た際は100パーセント抑えることなど考えなく自然に任せて自分のできる限りのもので抑えた数字で充分だと思う。
してはいけなかったことは、ほとんで食事を取らなく(10キロ痩せたのですが)どういう状況だったとしても食事はしっかりと取らないといけないと感じました。
やはり体が主本なものですから。
また人生初めて頭の中が真っ白になったというのを経験しました。